子猫の写真と、ぼくのこと

職場でちょっと悲しい出来事を耳にしたので
癒しを求めて猫の写真を見返していたら
ランちゃんとポンポンの子猫時代の写真が出てきた。

もともと野良猫だったランちゃんとポンポン。
友人に保護してもらってわが家に来る前の写真でめちゃくちゃかわいい。

ちいさくて、ふわふわで
無邪気に甘えてくる。

そんな写真を見ながら、最近の自分のことを考えていた。

今は、たぶん人生の過渡期。

前までは、っていうか今も仕事が人生のメインで。

できることが増えれば増えるほど、
自身の輪郭がくっきりしていく気がしていた。

でもそれは同時に
仕事がうまくいかないと、自身の価値まで揺らぐってことでもあって。

たぶんぼくは、
仕事の中に、自身の存在理由を置いているんだと思う。

でも、ひょんなことから、全く違う未来が目の前に提示された。

仕事一辺倒じゃなくて、
誰かと一緒に、歩幅を合わせながら二人三脚で進む未来。

それは少しあたたかくて、今より楽な気持ちになれる可能性もある。
でも正直に言うと、どこかで「落ち着く=縮む」感じもしている。

二人三脚って、常に足が結ばれている状態だ。
転ばないように、相手に合わせて歩く。

それはそれで素敵な形だと思う。
でもぼくは足が結ばれている感覚に、少し窮屈さを感じてしまうんだよね。

もしかしたら、ぼくが求めているのは
“二人三脚”じゃなくて“並走”なのかもしれない。

結ばれているわけじゃない。
でも同じ方向を見て、それぞれの足で走っている。

この人と歩くなら、自由を失うんじゃなくて
世界がちょっと広がる気がする。

そう思えたときだけ、
きっと「一緒に歩みたい」と思えるんだろう。

今の気持ちは、行きたい、というより
「そっちに行けば楽になれるのかな」という気持ちに近い。

それはもしかしたら、挑戦から少し距離を置きたい気持ち、
つまり現実逃避なのかもしれない。

自分の足で立ちたい。
依存はしたくない。
でも、孤独でいたいわけでもない。

子猫だった猫たちは
甘えながらも、ちゃんと大きくなった。

ぼくは、どんなふうに大きくなりたいんだろう。
縮む未来じゃなく、広がる未来を選べる自分でいたい。

…とか言いながら、
今日も子猫時代の写真見て「かわいすぎん?」って悶えてるだけなんだけどね笑

ランちゃんは今日も自由に走ってるし、ポンポンは膝上で甘えてくるし
ぼくはぼくで、もうちょい好きにさせてもらおかなと思ってる。

いつかこの選択を選んでよかったと思えるように、もうちょい頑張りますか。

なお「めちゃくちゃ珍しい舌ペロ ポンポン」が本日見たベストショットです笑

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